久々なので緊張。
2003年3月3日久々の日記だ。
がんばって書こうと思ってたのに途絶えたわけは、
おばの急死だった。
もう半年も経つけどまだ辛い。
すごく大切な伯母だったこと、あまりにも突然の死だったこと、いろいろな理由が重なって、現実を受け入れることができなかったし、今でも信じれてない部分もある。
身内の死というものは、悲しみに浸っている時間があまり取れないからか、あっという間に時間が過ぎてしまう気がする。
私が身内の死を経験したのは小学3年生の時の祖父が最初だったと思うが、祖父は年に一回くらいしか会わなかったし、自分が子どもでその大切さ、大きさをわかれなかったから、悲しかったという記憶はほとんどない。
祖母にしても悲しみの記憶はほとんどない。
今回、おとなになって、また、初めて身近な身内を亡くし、本当にいろいろなことを考えさせられたと思う。
周りの人たちに助けられもしたし、傷つけられもしたけど、今度もし同じ立場にあったひとがいたときに、少しでも心を軽くしてあげられるように慣れたらいいと思う。
最近、やっと、母も涙なしでおばのことを話せるようになってきたようだ。
悲しみを、いろんな思い出として、浄化していけたらいいと思う。
がんばって書こうと思ってたのに途絶えたわけは、
おばの急死だった。
もう半年も経つけどまだ辛い。
すごく大切な伯母だったこと、あまりにも突然の死だったこと、いろいろな理由が重なって、現実を受け入れることができなかったし、今でも信じれてない部分もある。
身内の死というものは、悲しみに浸っている時間があまり取れないからか、あっという間に時間が過ぎてしまう気がする。
私が身内の死を経験したのは小学3年生の時の祖父が最初だったと思うが、祖父は年に一回くらいしか会わなかったし、自分が子どもでその大切さ、大きさをわかれなかったから、悲しかったという記憶はほとんどない。
祖母にしても悲しみの記憶はほとんどない。
今回、おとなになって、また、初めて身近な身内を亡くし、本当にいろいろなことを考えさせられたと思う。
周りの人たちに助けられもしたし、傷つけられもしたけど、今度もし同じ立場にあったひとがいたときに、少しでも心を軽くしてあげられるように慣れたらいいと思う。
最近、やっと、母も涙なしでおばのことを話せるようになってきたようだ。
悲しみを、いろんな思い出として、浄化していけたらいいと思う。
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